藍染め
 藍染め 伝統的な藍染め 藍染めの歴史 日本の藍染め すくも  灰汁






藍染め






藍染めは、藍草の葉から色を採りますので、草木染めと間違えられますが、その性格は全く異なります。

藍草の葉の中にある「藍」は、水に溶けません。
ですから、草木染めのような「煮出し」が出来ません。
水に溶かさなければ染め物にはなりませんから、藍を可溶性にしなければなりません。
それを「建てる」といいます。


日本では、二つの段階を経ます。

先ずは、藍草の葉を100日ほど掛けて醗酵させ、「すくも」という原料を作ります。
「すくも」を作る職人を、「藍師」と呼びます。

次に、「すくも」を使い、灰の灰汁で藍を建てて染める。
その職人と家を「紺屋」と呼びます。


「すくも」は、徳島県が質量共に主な産地ですが、現在は年間一千俵程と、僅かな生産量です。

藍染は全国で染められておりましたから、産地はありません。



 


伝統的な藍染め



藍は、藍草の葉に「青藍」として存在し、醗酵させると「白藍」として水に溶けて液の中に存在するようになります。
そこに糸や布を入れると藍は付着し、外に出すと酸素と結合(酸化)して、もとの青藍に戻って青くなるのです。
だから藍染は、「染める」とも言うけれど、「付ける」とも言います。

酸化して青くなった藍は、もうどこにも付着しなくなる。
つまり、色移りはしません。
定着すれば、色落ちもしません。

糸や布に付着した藍の上に藍を重ねると、つまり、何度も何度も染めると、青味が濃くなります。
付着ですから、糸や布の中に、藍の青い色は入って行きません。
つまり、コーティングしているようなもので、その分擦れに強く、繊維を丈夫にするのです。
当然、洗濯にも強くなりますから、野良着などの労働着に適しているのです。

綿・麻・絹・毛と、天然繊維全てを染めることが出来ます。
レーヨンなどの半天然繊維も染まりますが、石油系の合成繊維は、一切染まりません。

糸や繊維に付着した「藍」が様々に働き、紫外線を通さず、(毒)虫除けと言われ、抗菌作用や遠赤外線効果と言ったことで、人間の役にたってきたと言います。
だから7000年近く、人間は藍を染め、使ってきたのでしょう。

以上は伝統的な藍染のお話しです。






 
藍染めの歴史



紀元前4500年前のインダス文明の遺跡から、藍染の工房跡が発見されたと言いますから、かれこれ6500年の歴史を持つことになります。

現存する最古の藍染の布は、エジプトのミイラを包む「マムミー布」にありますが、これもかれこれ4000年前の事。

日本には1800年程前に、中国から入ってきたのではないかと言われていますから、世界から見れば、日本の藍染は比較的新しい文化です。

それにしても古い事ですが、約7000年の長い間、藍染が人間の生活の中で生き続けてきたのにはそれなりの理由があったはずだと、紺邑は考えています。
 





 
日本の藍染め



凡そ1800年前とおおざっぱなことを書きましたが、魏志倭人伝に「青」が出て来るなんて言うのも、年代を知る一つなのでしょう。

奈良時代頃までは、土に穴を掘って生の葉を入れ、醗酵させて染めていたようですが、室町の時代になって、「すくも」を作り、保存できるようにした現在の藍染の形が出来上がったと言われております。

藍を建てるだけでなく、草木から色を採り、それを発色させるために、灰の灰汁を使うわけですが、それを供給するために、「灰屋」という職業も生まれ、大きな商いをしていたようですし、「紺灰(こんばい)」という言葉もあるくらいです。


江戸時代にはいると、綿の文化が栄えるようになります(秀吉以前は、日本には綿の文化はありませんでした)。

幕府の財政が逼迫し始めると、八代将軍吉宗の「享保の改革」以来、しばしば倹約令が出て、庶民は綿の着物に茶と鼠と藍しか着られなくなったようです。
各々の色が百も二百もあるのは、お上に言われたからって色気を忘れちゃいなかった庶民の知恵の発露でしょうか。

絣や結城紬の起源も、この辺りに起因しているのかも知れません。


明治になり、藍染は燃え尽きる前の蝋燭の炎のように栄えました。
阿波藍も、明治二十年半ばに最盛期を迎えます。

ところが藍の含有量の多いインド藍や、明治30年代になって、ドイツから人造藍が輸入されるようになると、日本中の紺屋がこれに飛びつき、日本の藍はあっという間に衰退してしまいました。
それは今でも続き、いわゆる「すくも」は、無いに等しいと言わざるを得ないのが現状です。



日本の藍の原料は、蓼科の藍草の葉を用います。
これを「蓼藍(たであい)」と呼びます。

主な産地は徳島県ですが、江戸時代から質も量も日本一でした。

徳島と言えば「阿波踊り」。
ですから藍も「阿波藍」。

その他には、埼玉県本庄、深谷、岡部辺りの武州藍などもありますが、我が佐野市も、その昔は藍の産地でありました。 



 原材料
 

すくも

 
 



畑で育てた藍草を、花が咲く前に刈り取り、葉と茎に分け(藍は葉の中だけに入っています)、葉に藍が出やすいように傷を入れ、水はけの良い土間に積んで水を打ち、ムシロを掛けて寝かせ、100日の間に十数回切り返しては水を打ち、醗酵させて完熟したもの。

写真は、徳島から送られてきた「すくも」です。

完熟しているかどうかは、臭いで分かります。
アンモニア臭がして臭いのは、まだ未熟な証拠。
これは堆肥も同じです。







 
 



藍染だけでなく、染めにとって水の善し悪しは決定的に重要です。
江戸の紺屋が、良い水を求めて度々引っ越したという話も、さもありなんと思う。

紺邑は、地下129m掘った地下水を使用しています。

この水の特徴は、弱アルカリ性で酸素をあまり含んでいないことにあります。
藍染にこれほど適した水に、私はあったことが無い。

もちろん安全で飲んで美味しく、この水で炊いたお米は格別だし、お茶もコーヒーも結構なものです。




灰汁(あく)

 
 


良い水で、堅木を燃やした灰から「灰汁」を採ります。

灰汁以外の水は一切使いませんので、大量の灰が必要ですが、これがなかなか手に入りにくい。

幸い、工房のある山里は、皆さん薪ストーブだし、椎茸栽培などにも薪が使われているし、林業の盛んなところでしたから、比較的手に入りやすいところ。

それでも足りませんから、色々なところから頂いております。



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